雪山で考えた、正解のいらなさ。

先日、一泊二日で長野の入笠山へ行ってきました。 初めての雪山。アイゼンをつけて雪を踏み締める感覚は、とても新鮮なものでした。
参加したのは「親子山学校」というプログラム。
山を通じて親子のあり方を学ぶ場なのですが、そこで先生が仰った言葉が、深く心に残っています。
「親の価値観で、子供の可能性を決めつけないこと」
親が通ってきた道や、親の物差しで子供の限界を測ってしまう。
それは、その子が持つ本来の可能性を消してしまうことだと。
今の子供たちは「こう言えば正解でしょう?」という、金太郎飴のような答えを出すのがとても上手になっているそうです。
でも、本当に大切なのは正解を出すことではなく、失敗して、恥をかいて、自分だけの個性を財産にしていくこと。
この話は、芸術祭に向けた「種」というテーマのワークショップにも繋がっていました。 「種という言葉から、何を感じてもいい。正解をなぞるのではなく、言葉に引っ張られず、自分の中から湧き出るものを形にしてほしい」
その葛藤を聞きながら、僕は日頃のセッションのことを考えていました。
セッションの終わりに、僕はよく「どうですか?」と伺います。
すると、時折クライアントさんが「なんて答えるのが正解なのだろう」と、戸惑われる瞬間があります。
でも、僕が求めているのは、綺麗な言葉や正しい説明ではありません。
言葉になっても、ならなくても、どちらでもいい。
大切なのは、今この瞬間の自分の体がどう感じているか。
その感覚を、ただ自分自身で認識すること。
誰かが作った「正解」をなぞる必要はありません。 人それぞれ、感じ方は違って当たり前だし、間違いなんてないのだから。
山でアイゼンが雪を掴む感触。 ワークで自分の体がふと軽くなる感覚。
正解を求める思考を少し横に置いて、ただ自分の体に戻り、湧き上がる「感じ」を大切にする。
答えを急がず、その場その瞬間、自分の体に戻るということを、このセッションでは大切にしたいと思っています。


